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銚子の赤線地帯

銚子の赤線地帯

明治初頭に公布された売春婦会法令。
「他人に(養女含め)体を売らせるな、借金は帳消し」
「お上がだした法案だから・・」と、神奈川を除く自治体は従います。
でもこれって、ある日突然職場がなくなるってことで・・・
「法案は大変嬉しい事でございますが、私たちにはこの仕事しかないのです」と美しい文章で県令に陳情書を出したのが松岸遊郭の女たちでした。
まぁ、端的に言うと『売春させろ』ということですね。
そんな女性たちが生きた遊郭も今はありません。
本当になのも残っていませんので、現在の様子をご覧ください。
銚子は古くから醤油の街、そして港町として栄えてきた。
栄えた街にはお決まりの売春地帯がある。
現在銚子は衰退しているが、過去を探して散策してみようと思う
駅前、寂れた観光地にお土産物屋が数件。
地元の高校生が駅前でたむろしている。
お昼は海鮮丼。
数件、お店が並んでいます。
飯沼観音の門前町として栄えた街。
裏手に当然のごとく男性のパラダイスが存在した。
お寺のすみっこには「船着場」とありました、
昔はこの階段まで船できたそうです。
1958年の売春防止法によって赤線はなくなったが、
ハイそうですかと転業できるわけでもないので、
スナックなどの飲食店の看板を揚げながら、
連れ出しあスナックのような営業を続けていたのではないだろうか。
そして当時の現役嬢も等に引退し、
その場所は外国人に貸し出され現在の飲み屋街となっているのではないだろうか。
多くの店が中国人・韓国人・タイ人であるようだ。
私娼窟だった田中町を散策してきました。
当時田中町には42軒女性は174名いたそうです。
特飲の頃の銚子は「男を見ると寝るモノと心得る、荒くれ女だらけ」笑
漁師の荒くれ相手の女性たちもなかなかたくましかったようです。
かっての赤線である田中町入り口には「新地」の看板が残っていました。
当時はちょんの間のような営業形態だったのでしょうか。
現在は、寂れたスナックと廃墟。
私娼窟のど真ん中の立派な廃墟。
どうもここは昔『銚子トルコ』というお店だだったという情報もあるのですが、不明です。
ご存じの方お教えください。
銚子は第二次大戦の時の空襲で焼け野原になり戦前の建物の多くは焼失したとのことだが、
この辺りの一部は焼け残ったという話も聞くが
どうなのだろう。
防犯カメラを設置している店もある。
頃名前は連れ出しスナックも何件かあったようだが、
今はないようである。
中国人のママさんの店である。愛想はとてもいい。
もっとも交渉次第でアフター的に付き合ってくれる子もいるらしいが、私はそこまではできないので誰か確認しに行ってください。
銚子に外国人が溢れ出したのは、1990年辺りからである。
多分これは日本全国の3K労働市場で同じような事が起きていたと思う。
3K労働と忌避される漁業や水産加工業といった地場産業に外国人労働力が入るようになった。
北海道の港町の水産加工工場でも若いアジア系の外国人女性を目にしたことがある。
働いているのは技能実習生で日本にやってきた女性が
夜のバイトをしているとのことだが、
実際のところオーバーステイもいるのではないだろうか。
銚子には特に中国人が多く、中国スナック経営者がオーバーステイの中国人女性を複数人働かせて不法就労容疑で逮捕されるケースも出ている。
画像千葉県銚子市で13日夜、スナック3店舗が摘発され、経営者やホステスの中国人の女7人が入管法違反の疑いで逮捕されました。(2015年6月14日)
 2018年2月7日、千葉のローカル紙『千葉日報』に、「銚子、不法残留のタイ人10人逮捕」。記事には、逮捕されたタイ人女性は、「銚子市田中町のスナックでホステスとして働いていた」とあります。
まぁ、確実に連れ出しスナック勤務です。
報道されない摘発はかなり多いでしょうね。
そしてもう一つの飲み屋街。南町。
観音駅のすぐそばである。ここは営業している店も多い。
比較的新しい店も多く、廃墟感はあまりない。
夜にはカラオケの声が聞こえてくる。
ご多分に漏れず中国人が多そうである。
銚子の伊達巻が名物だそうで、いただきます。
さて、朝から歩いて疲れたので宿へ帰って寝るとするか。
銚子を訪れる際、泊まれるホテルを概要欄にリンクを張っておきます。基本一人泊できるビジネスホテルです。
ゆっくり銚子の夜をお楽しみください。