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木更津 赤線

木更津 赤線

木更津駅木更津駅
駅前の寂れた様子 木更津港のある場所は、かつて木更津浦といわれていたそうだ。江戸時代には、江戸に生活物資を運ぶ拠点となっていた。そして、明治期に木更津港が築かれてからは、東京湾の海上交通の拠点として、房総有数の商業地として栄えたといわれる。そして、そこには豊かな港町文化が生まれた。
木更津遊郭、木更津には戦前海軍基地があり、当然のごとく軍施設のある場所にはそのような場所が存在した。貧しい家の子が働きに出ていた。
確か10年位前の老婆への当時のことのインタビューで語られていた。
戦時中の話である。
両親がなくなり祖母に育てられていた少女がそこの存在を知りそこに働きに出た少女へのインタビュー記事を読んだことがあります。
年季が明けて帰ってきた近くのおねぇさんが、そのような場所があることを教えてくれた。
その少女は中学を卒業すると祖母に弟と妹のことを頼み働きに出たそうです。
弟と妹に遠くの工場に働きに出るといって働きに出たそうです。
彼女は週に一度水曜日が休みで、その日は木更津の街へ出て映画を見て帰りにあんみつを食べるのが楽しみだった。と語っている。
木更津東映という映画館が戦前からあったようである。彼女が行った映画館とはもしかするとそこであったのかもしれない
木更津のその場所において働いている女性は仕事の対価ももらえ、週に一度の休みにはかなり自由に楽しめたようである。
木更津遊郭のあったらしき場所は、すでにない。
その場所を見てみよう。
すでに面影はない。
昭和33年まではあったはずである。
その後はそこは宅地となりそこを消し去った、
その後青線として存在したのがこの界隈でなかったのだろうか。
花街
細い路地に密集したこの界隈。
夜に再訪してみた。
明かりのともっている店、明かりのともっていない店。
昭和34年頃には旅館が数件並んでいるだけで飲み屋街ではなかったそうだ。
赤線が廃止されたあとこの地にスナック等の、新しく店ができたのではないだろうか。
もちろん多くがチョンの間のような簡易売春飲み屋であったのではないだろうか。
そのような推測のもとに飲みたいと思う。
どこかに入ってみようと思う。
この先はここでの会話をメインにしていこう。
木更津は江戸時代から漁業や海上輸送とかで賑わってたらしいです。
今でも木更津芸者が残るように芸者文化もあったようだ。
遊郭と花街で女性の役割は区別されていたのではないか